悟りは自我から無我への相転移

悟りは自我から無我への相転移。悟りを哲学、心理学、宗教、脳科学から解説します。

8)悟りと漸悟 8-1-2)イスラム神秘主義

8-1-2)イスラム神秘主義 イスラム教において精神修養に重きを置いた宗派が9世紀以降に生まれ、修行によって自我(自我意識)を滅却し、忘我の恍惚の中で、二元的対立を超えた神との神秘的合一を究極的な目標とする内面化運動を、特に「イスラム神秘主義」という…

8)悟りと漸悟 8-1-1)エジプトの女神イシスを覆うヴェールの物語

8-1-1)エジプトの女神イシスを覆うヴェールの物語 エジプト神話には、豊穣と知恵の象徴である女神イシス(大地の神ゲブを父に天空の女神ヌトを母に持つ、背中にトビの翼[空間の超越]を持った女神、生と死を操る強大な魔力[時間の超越]を持つ)がいます。豊穣の…

8)悟りと漸悟 8-1-0)仏教以外での悟りの心境

8-1-0)仏教以外での悟りの心境 仏性は人類普遍に持ち合わせいますから、洋の東西を問わず悟り現象は生じます。ということで様々な表現で言い表されています。例えば、覚醒(仏性の開花)、ワンネス(無我によって達成する自他一如の世界)、自己超越(自我から無…

8)悟りと漸悟 8-0)悟りとは、悟るとは

8-0)悟りとは、悟るとは 悟りについては、前章の「7)仏性と修行」章の「7-6)悟りとは」節で幾分か説明しました。そこでは仏教に限定した悟りを紹介しましたので、ここからは更に詳しく多方面から説明して行きます。 悟るとは、迷い(自我)の世界を超え出て、真理(…

7)仏性と修行 7-7)何故煩悩を持っているのか

7-7)何故煩悩を持っているのか 認知機能を「自我から無我へ」と切り換えることで悟りを開きますが、もう一つの側面として、心が「煩悩から清浄(涅槃)へ」へと切り替わることについて考えて行きます。「煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎ…

7)仏性と修行 7-6)悟りとは

7-6)悟りとは 悟りについて次の「8)悟り」章で詳しく述べますが、ここでは道元の悟りについて述べていきます。上で述べたように道元は修行への疑問を抱いたまま中国に渡り修行を行います。禅師の元での修行中に、一人の修行僧が居眠りをしていたのを如浄禅師が…

7)仏性と修行 7-5-3)意識とオートポイエーシス理論

7-5-3)意識とオートポイエーシス理論 意識の拡大に関しては、ウィキペディアの「オートポイエーシス」理論内「心的システム」頃に、「感知しうるものだけが心的システムの構成素」であり「心的システムはみずからの作動をつうじて、感知しうるもの/しえないものの境…

7)仏性と修行 7-5-2)釈迦の修行の中身(後半)

7-5-2)釈迦の修行の中身(後半) それによって自我(意識)は無我(涅槃寂静)にどんどんと近づいて行きます。遂に自我(脳=心の一部)から無我(脳=心の全体)となった時点が悟りの開花です。 私達の自我は、瞑想という方法の内で集中瞑想による能動性意識(トップダ…

7)仏性と修行 7-5-1)釈迦の修行の中身(前半)

7-5-1)釈迦の修行の中身(前半) あらためて修行についてまとめると、仏教において瞑想を、1)サマタ瞑想(止の行、精神集中)と、2)ヴィパッサナー瞑想(観の行、洞察、智慧)とに分けます。止は、「禅定、定、サマーディ、静慮、禅那、禅定、思惟修」に当たり、観は…

7)仏性と修行 7-4)釈迦の修行

7-4)釈迦の修行 当の仏教を創始した釈迦は、出家をしてから二人の師について、1)「サマタ瞑想」(一点に集中し心を静める瞑想、集中瞑想)を指導されたが、解脱には至りませんでした。というのは、サマタ瞑想は、勝手に動き回る心(特に注意機能)を自在に止めてま…

7)仏性と修行 7-3)修行することへの疑問

7-3)修行することへの疑問 道元は、比叡山に入ってすぐに、一つの疑問に行き当たります。人は仏の本質を持っているのに何故修行する必要があるのかと。 具体的には、「仏教においては、人間はもともと仏性(仏の性質)を持ち、そのままで仏であると教えている。…

7)仏性と修行 7-2)神とは仏とは

7-2)神とは仏とは 私達は神や仏という言葉を日常的に使いますが、あらためて、「神」と「仏」の違いとは何でしょうか。神は宇宙の創造主です。旧約聖書「創世記」の冒頭には、「はじめに神は天と地とを創造された」と天地の創造が描かれています。 それに対して、仏…

7)仏性と修行 7-1)仏性とは

7-1)仏性とは 仏教でいう「仏性」(如来蔵)とは、人や生き物の内奥に存在すると考えられる「仏としての性質」や、「仏になり得る(成仏し得る)素質」を意味します。仏性が顕現し有効に活用されている状態を「成仏」と呼び、仏法修行の究極の目的とされています。仏性は…

6)無我と執着 6-4-3)無我夢中とメタ認知

6-4-3)無我夢中とメタ認知 鎌倉時代初期の禅僧で、日本曹洞宗の開祖の道元が、無我夢中状態をこういいます。「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころ…

6)無我と執着 6-4-2)脳内には三大ネットワーク

6-4-2)脳内には三大ネットワーク 脳内には三大ネットワークがあり、能動的作業を主導する1)「中央実行ネットワーク」(作業記憶)と、身体を気遣う2)「顕著性ネットワーク」と、受動的(無意識)作業を担う3)「デフォルトモードネットワーク」があります。 この内で集…

6)無我と執着 6-4-1)無我夢中と中央実行ネットワーク

6-4-1)無我夢中と中央実行ネットワーク 知行合一を目指す方法に、仏教におけるもっとも代表的な修行法として禅定(定)があります。心を一点に集中し、雑念を退け、絶対の境地に達するための瞑想方法です。坐禅によって無念無想になる、心を統一して静かに対象…

6)無我と執着 6-3-7)王陽明の知行合一

6-3-7)王陽明の知行合一 悟り(無執着、無我)は、理論的に(頭で)理解できるだけではなく、その理論を実行(無意識化)にまで落とし込めるかどうかです。神秀に留まるか慧能へと転生できるのか。慧能のように「言行一致」しなければならなりません。王陽明(中国の…

6)無我と執着 6-3-6)竹取物語と執着

6-3-6)竹取物語と執着 平安時代前期に創作された現存最古の物語文学といわれる「竹取物語」は有名な物語ですが、私は、「執着」というテーマでそれを読み解きます。 翁が竹を切ると黄金が入っていてお金持ちになります。このことで翁は仏教的には俗人だとわかり…

6)無我と執着 6-3-5)沢庵宗彭と不動智神妙録

6-3-5)沢庵宗彭と不動智神妙録 次に「不動智神妙録」を紹介します。その著書は、江戸時代初期の禅僧「沢庵宗彭」(宮本武蔵の師)が執筆した「剣法(兵法)と禅法の一致(剣禅一致)を説く(柳生宗矩に与えた書簡を集めた)書物です。千利休は、禅の(根本)精神を茶の湯に…

6)無我と執着 6-3-4)老荘思想と無為自然

6-3-4)老荘思想と無為自然 千利休のところで、「道」という言葉が出たので、ここで老荘思想、道、無為自然を取り上げます。老荘思想は、簡単にいえば無為自然を説く思想です。無為自然とは、作為(人為)がなく、宇宙のあり方に従って自然のまま(あるがまま)であ…

6)無我と執着 6-3-3)茶道家千利休

6-3-3)茶道家千利休 「千利休」(戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人でわび茶の完成者)の訓をまとめたものに「利休道歌」があります。その中に「規矩作法守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」という言葉があり、そこから「守破離」が生まれたとい…

6)無我と執着 6-3-2-2)神秀と慧能の問答

6-3-2-2)神秀と慧能の問答 神秀と慧能の問答。「身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し、時時に勤めて払拭せよ、塵埃を惹かしむること勿れ」(心は鏡のように清浄なものだから、常に掃除して塵やほこりが着かないように勤めなさい)と神秀はいう。それを聞いて師の弘…

6)無我と執着 6-3-2-1)慧能の本来無一物

6-3-2-1)慧能の本来無一物 人間側にとっての解脱(無我)を、中国唐時代の禅宗六祖慧能は、「本来無一物」という。本来無一物は、諸法無我と同じような意味です。別の言葉でいえば、「空」(絶対的、実体的存在[自性]は無いこと)です。 注1)「本来無一物」とは、あら…

6)無我と執着 6-3-1-2)臨済義玄の破天荒な逸話

6-3-1-2)臨済義玄の破天荒な逸話 臨済の解脱を言葉で表現したものを示しましたが、次は臨済の解脱ぶりを示す逸話を紹介します。 臨済は大愚禅師の脇腹を三発ばかり拳で殴り、彼は再び師の黄檗の元に戻って事の顛末を報告すると、黄檗は「何とかしてあいつに会…

6)無我と執着 6-3)執着(無執着)についてあれこれ 6-3-1-1)臨済義玄

6-3)執着(無執着)についてあれこれ 執着とは何かということについて一般的なことを述べましたが、ここからは「執着」に関して過去に苦悩して悟りを開いてきた人々の声を聞いてみましょう。 6-3-1-1)臨済義玄 先ずは、中国唐時代の禅僧で臨済宗の開祖の「臨済義…

6)無我と執着 6-2-1)成長後の執着

6-2-1)成長後の執着 大人になってから後追いが端的に現れた行為がストーカーです。まあこの場合は「空の巣症候群」だと思いますが。ともかく失ったり、愛されなくなったり、孤独になったりするのが怖いから執着します。大人になってからの後追いは怖いですが。…

6)無我と執着 6-2-0)(無意識的)執着とは

6-2-0)(無意識的)執着とは 無我とは、「執着を否定した上で超越」することです。言い換えると、「囚われのない融通無碍の心」です。ではその執着とは何でしょうか。ごく簡単に言えば、執着対象に「心をとらわれて、そこから離れられない」(そこに「生きる根拠」を置…

6)無我と執着 6-1)無我とは

6-1)無我とは この第六章の主題(テーマ)は、「無我」ですが、無我で思い出されるのは、仏教の用語としての無我でしょう。仏教でいわれる「無我(諸法無我)」とは、あらゆる事物は、「表面へ現れた現象」(構造と機能でいえば機能)として生成しているだけであり、それ…

6)無我と執着 6-0)無意識と無我

6-0)無意識と無我 前章「5)「無意識」と「内向性」」の後に、唐突的に無我をこの章のテーマ(主題、題目)として取り上げたのは、ごく大まかにいえば、「自我=意識、無我=無意識」ではないかと思えたからです。 自我=意識で、その意識を支えるのが脳内の前頭前野だ…

5)無意識と内向性 5-6)無意識化から意識化(自覚)へ

5)無意識と内向性 5-6)無意識化から意識化(自覚)へ 過去の不適切(不適応)な習慣化された無意識に沈んだ行動は、一度立ち止まり客観視(メタ認知)することが必要不可欠です。無意識化した行動は本人にとって省エネモードなので、その点では本人と周りに大きな…