悟りは自我から無我への相転移

悟りは自我から無我への相転移。悟りを哲学、心理学、宗教、脳科学から解説します。

6)無我と執着 6-3-2-1)慧能の本来無一物

6-3-2-1)慧能の本来無一物

人間側にとっての解脱(無我)を、中国唐時代の禅宗六祖慧能は、「本来無一物」という。本来無一物は、諸法無我と同じような意味です。別の言葉でいえば、「空」(絶対的、実体的存在[自性]は無いこと)です。

注1)「本来無一物」とは、あらゆるものがそこから出てくるような根源を指し示します。

注2)「空」で思い浮かぶのが、宇宙開闢時の「ビッグバン」以前の、あらゆるものがあるが、あらゆるものがない状態(状況)です。あらゆるものが潜在的状態で、何一つ目に見える形で顕在化していない状態です。自我を立てるとそこの周りが顕在化して、自我を消して無我になると全ては潜在化します。

上で紹介した慧能のいう「本来無一物」と同じような意味を持つ「一無位の真人」は、世俗的な束縛から完全に解放(解脱)した人、あらゆる執着から脱して完全な自由を得た人を意味します。つまり一無位の真人は、無我と成り得て、清浄で平安な涅槃に達した人を意味します。あらゆる執着対象の内で「最大の執着」として、勿論「自分(自我)」も含まれます。その自我を捨てれば、一無位の真人(無我)が即座に立ち現れます。