悟りは自我から無我への相転移

悟りは自我から無我への相転移。悟りを哲学、心理学、宗教、脳科学から解説します。

6)無我と執着 6-3-1-2)臨済義玄の破天荒な逸話

6-3-1-2)臨済義玄の破天荒な逸話

臨済の解脱を言葉で表現したものを示しましたが、次は臨済の解脱ぶりを示す逸話を紹介します。

臨済は大愚禅師の脇腹を三発ばかり拳で殴り、彼は再び師の黄檗の元に戻って事の顛末を報告すると、黄檗は「何とかしてあいつに会って、今度一発お見舞いしてやりたいものだ」と言いました。すると臨済は「やりたいものだもあるものか。今度といわず、今すぐ喰らえ」と言うや否や黄檗の横面に思い切り平手打ちを喰らわした。

その行為から殴られた当の黄檗は臨済の悟りを確信したという。その訳とは、臨済(の行為)は、身分的上下だけではなく自他の区別が完全に吹っ飛んでいます。しかもそれを頭(意識)で考えて落とし込んで行動するのではなく反射的(無意識)行動にまで身についています。全くの心身脱落(心身を統合する自我[意識]の完全喪失)です。言行一致です。

注)「言行一致」については、この章の「6-2-2-7)王陽明の知行合一」で説明します。