悟りは自我から無我への相転移

悟りは自我から無我への相転移。悟りを哲学、心理学、宗教、脳科学から解説します。

7)仏性と修行 7-5-3)意識とオートポイエーシス理論

7-5-3)意識とオートポイエーシス理論

意識の拡大に関しては、ウィキペディアの「オートポイエーシス」理論内「心的システム」頃に、「感知しうるものだけが心的システムの構成素」であり「心的システムはみずからの作動をつうじて、感知しうるもの/しえないものの境界を区切るのである」し「心的システムはオートポイエーシスシステムの本性にしたがって、かたちを自在に変えながら作動を反復するのだから心的システムの境界は大幅に変動しうる」とあります。

なお感知してそこに意識が集中することが執着です。あらためて執着とは、雑念や煩悩のように、心を捕らえてそれに心が執着する対象を指し示します。心を河の水のように常に流れて留めない状態にして置くのが修行です。

これは一見矛盾するように感じますが、最初は心(注意)を自由自在に制御することに注力しますが、それを完成させた時点で、注意機能を停止させ、次の段階の(受動性)意識機能を高める方向(オートポイエーシス理論でいえば感知範囲[限界]を拡大する方向)へと舵を切ります。流れる情報に心(意識)を起動させて留めないで、情報を流れるままに涅槃寂静し続けます。それが無我です。

そして本当に必要な時に全力投球(無我夢中)で取り組む態度の形成です。つまり何かを行うための態度形成が仏教修行の目的です。その態度によって、具体的に茶の湯や剣道などを行うならば、その行為が「道」となります。道とは、無為自然であり、無為自然とは、無我です。