悟りは自我から無我への相転移

悟りは自我から無我への相転移。悟りを哲学、心理学、宗教、脳科学から解説します。

7)仏性と修行 7-2)神とは仏とは

7-2)神とは仏とは

私達は神や仏という言葉を日常的に使いますが、あらためて、「神」と「仏」の違いとは何でしょうか。神は宇宙の創造主です。旧約聖書「創世記」の冒頭には、「はじめに神は天と地とを創造された」と天地の創造が描かれています。

それに対して、仏は、人間であり、悟りを開き「宇宙を感知できる覚者」を意味します。つまりブッダ(仏)とは、修行を完成した者や(宇宙を感知する能力に)目覚めた人を意味します。ということで、釈迦の誕生以前から、即ち仏教誕生以前からブッダ(仏)はインドでは存在していました。

つまり、「仏性」とは、「宇宙の創造主=神を感知する能力」を意味し、その潜在する感知能力を開発(開花)させる作業が(仏教)修行であり、それが開花した記しとして悟りがあります。悟りは、感知能力が顕在化した記念の打ち上げ花火の役割を持つのではないでしょうか。梵我一如とは、梵(神、宇宙創造主)から分かち与えられた我(仏性)を意味します。聖書の創世記に、「神は自分の形に人を創造された」とあるのを、東洋では「梵我一如」というのではないかと思います。

注)私は、魂の存在を確信しています。魂が仏性(我)を持ちその結果宇宙原理を感知する能力を持っています。物質としての脳は自我として自然界(物質界)人間界の情報を受け取ります。魂は無我として神(宇宙、宇宙原理、法)を感知します。悟りを開くとは、脳(自我)が物質の情報を受け取ってその情報(パン)を元に生きる生き方から、魂が開花して直接宇宙原理(法、智恵、神の言葉)をも受け取る(感知する)生き方への相転移の瞬間を「悟りを開く」と表現するのだと思います。しかし、魂という言葉は解決に向けては安直な感じを持つので封印します。