悟りは自我から無我への相転移

悟りは自我から無我への相転移。悟りを哲学、心理学、宗教、脳科学から解説します。

8)悟りと漸悟 8-1-1)エジプトの女神イシスを覆うヴェールの物語

8-1-1)エジプトの女神イシスを覆うヴェールの物語

エジプト神話には、豊穣と知恵の象徴である女神イシス(大地の神ゲブを父に天空の女神ヌトを母に持つ、背中にトビの翼[空間の超越]を持った女神、生と死を操る強大な魔力[時間の超越]を持つ)がいます。豊穣の女神、月の女神、復活の女神、魔術の女神でもあり、古代エジプトで最も崇拝された女神でもあります。イシスは人類と神々の間を繋げる役目を持っています。

ある探求者が、女神イシスを探し求めた末、やっと見い出して、その顔のヴェールを引き上げた途端、そこに現れたのは自分の顔であったという。

エジプトのイシス神殿に書かれている銘文「わが面布を掲ぐる者は語るべからざるものを見るべし」(私の顔にかけた布を取り払って素顔を見た者は、言葉にできないものを見ることになる)。梵我一如です。我(私)が梵(神)に出逢った瞬間です。私はあなただった、あなたは私だった。

私的な解釈をすると、女神イシスは、無我(悟り)(魂)を象徴します。言葉を使うのは自我であるが、無我(悟り)の世界は言葉で表現できない(語るべからざる)世界(不立文字)です。「不立文字」「教外別伝」「直指人心」「見性成仏」すべき世界です。自我の世界には時間空間の縛りがありますが、悟り(無我)は心の(時空間の)自由自在性を獲得することなので、それを翼を持つということで表現します。仏教では悟りは「生労病死」(苦)を超越することなので、「生と死を操る強大な魔力」と表現していると思います。

「語るべからざるもの」から、私は「舌切り雀」を思い出しました。「舌切り」から「不立文字」を連想し、舌切り雀が向かった先「語るべからざるもの」(悟り世界)を求めておじいさんが苦労(修行)する話として「舌切り雀」を解釈しました。

紀元1世紀のギリシャの歴史家プルタルコス(プルターク)はイシス神殿に次の銘文が刻まれていると書いています。「私は、かつてあり、今あり、これからあるもののすべてである。私のヴェールはこれまで人間(死すべき者)によって引き上げられたことはない」と。イシスのヴェールを引き上げられるのは、死すべき人間(自我)から時空間を超越した仏(無我)になったものだけです。