悟りは自我から無我への相転移

悟りは自我から無我への相転移。悟りを哲学、心理学、宗教、脳科学から解説します。

8)悟りと漸悟 8-0)悟りとは、悟るとは

8-0)悟りとは、悟るとは

悟りについては、前章の「7)仏性と修行」章の「7-6)悟りとは」節で幾分か説明しました。そこでは仏教に限定した悟りを紹介しましたので、ここからは更に詳しく多方面から説明して行きます。

悟るとは、迷い(自我)の世界を超え出て、真理(宇宙[神]の真理)を直接体得(純粋経験)することです。いな、私達は誰でも現に純粋経験をしているのですが、それは一瞬だけで、直に自我(メタ認知)によって分別してしまいます。自我がなければ、純粋経験は純粋経験のままに、つまりあるがままに、作為を加えず無為自然に、自然法爾に受け取れます。別の面からいえば、(心理面では)涅槃(煩悩や執着からの解放)や(自我から無我への)解脱(無執着)ともいえます。

悟りは、精神面、心理面、脳的成長の結果起こる到達点(実際には通過点)です。つまり仏教世界だけで起こる現象ではなく、仏性は仏教者だけが持つものでもなく、人類普遍に付された潜在的能力なのです。「一切衆生悉有仏性」(涅槃経)とあります。道元はいう、「この法は人々分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし」。禅の修行を修、悟りを証という。登山は一歩一歩登ることで山頂に到着します。山頂到着時を開悟というとしても、一歩一歩の修行も一歩分の悟り(成長、成果)であるという。