悟りは自我から無我への相転移

悟りは自我から無我への相転移。悟りを哲学、心理学、宗教、脳科学から解説します。

7)仏性と修行 7-5-1)釈迦の修行の中身(前半)

7-5-1)釈迦の修行の中身(前半)

あらためて修行についてまとめると、仏教において瞑想を、1)サマタ瞑想(止の行、精神集中)と、2)ヴィパッサナー瞑想(観の行、洞察、智慧)とに分けます。止は、「禅定、定、サマーディ、静慮、禅那、禅定、思惟修」に当たり、観は智慧に相当しています。

動物は、「外にある餌や外にいる敵」に注意を払いながら生存競争を生き延びようとしています。そのために「外向性」が発達しています。私達人間は、そのような生死を賭けた生存競争を脱したとはいえ、心(精神)は、外から来る時々の必要に応じて動きます。また内から沸き上がる興味関心や欲求にも応じて動きます。

仏教修行とは、動物ような時々に応じて動く心(精神)を自分が完全制御できる能力へと育て上げることを目指します。その方法が瞑想、1)サマタ瞑想(止の行、精神集中)です。それによって自由自在な不動心(不動智)を育てます。

次に2)ヴィパッサナー瞑想(観の行、洞察、智慧)によって、雑念や煩悩を消し去ります。サマタ瞑想によって、不動心が完成しているので、雑念や煩悩や執着に心が動かされなくなっています。だから雑念や煩悩や執着はあぶくのように上がって来ては弾けて消え去ります。もはや雑念や煩悩や執着が心から消え去れば、心は鏡のように涅槃寂静となります。