悟りは自我から無我への相転移

悟りは自我から無我への相転移。悟りを哲学、心理学、宗教、脳科学から解説します。

6)無我と執着 6-0)無意識と無我

6-0)無意識と無我

前章「5)「無意識」と「内向性」」の後に、唐突的に無我をこの章のテーマ(主題、題目)として取り上げたのは、ごく大まかにいえば、「自我=意識、無我=無意識」ではないかと思えたからです。

自我=意識で、その意識を支えるのが脳内の前頭前野だと感じます。ということで、あらためてこれまでを振り返ると、先ず最初は全体像として「心」を取り上げ、次に心の一部として「自我」を取り上げ、自我の出所としての「島皮質」を、その後に自我の拠り所としての「意識」を取り上げ、意識の神経基盤としての「前頭前野」を取り上げて来ました。

その後で無我の基盤としての「無意識層(脳内自律分散処理層)」を取り上げて、そして今その無意識を基盤として立ち上がる「無我」を取り上げて行こうと思っています。ということでこの章では無我を取り上げます。

注)自我は、心全体(しかも身体を含めて)を自分に所属していると勘違いしています。そこから来るすれ違いが不幸をもたらしています。受動意識仮説は、身体を含めて心全体は自我のものではなく、自我は単なる傍観者に過ぎないという。