悟りは自我から無我への相転移

悟りは自我から無我への相転移。悟りを哲学、心理学、宗教、脳科学から解説します。

8)悟りと漸悟 8-2-2-1)雑念の減少と集中力の増大

8-2-2-1)雑念の減少と集中力の増大

雑念(執着、煩悩、そして自我)が減少したことで、つまり気を散らす原因が減少することで、重要な思考に持続的に強く深く集中でき、その結果目の前にある問題への解決能力が増強増大します。雑念が減少していくので、過去(の経験)を思い出したり、未来(将来)を思い悩んだりしなくなり、つまり過去や未来に煩わされなくなった結果、つまり時々の沸き立つ煩悩に振り回されずに、今目の前にある出来事(課題)に集中するようになります。最終的に「即今此処自己」(即今当処自己)となります。ごく普通に解釈すると、「今ここで私が(する)」と読みます。深読みする人は、「未来や過去にではなく「即今」、遠くにあるという浄土ではなくここ(此処)が既に浄土、私(自己)が今ここで仏として生きています」とも読みます。これは悟りです。

雑念がない分、つまり無駄な仔細な事柄に神経を浪費(分散)しないので、また全神経を一つのことに持続的集中(禅定)できるので、今ここの感覚が鋭く広くなり、五感(視覚、聴覚、嗅覚、皮膚感覚など)を総動員して、脳全体を使って今の目の前の出来事を深く味わおうとするようになります。一期一会です。

それを脳的に言えば、「能動的作業」への「集中」は、「中央実行ネットワーク(機能)」が受け持ちます。それは目の前の課題に能動的に集中して、認知と思考と行動面で取り組む脳内機能です。短期記憶関連脳領域(海馬や感覚機能)や、注意関連脳領域(前頭前野)から構成されています。この中央実行機能が強力に持続的に働いている状態を「ゾーン(フロー)に入る」(心身ともどものリラックスと集中のバランスが取れた覚醒領域)という。フロー体験中は、1)時間感覚の変容、2)意識の後追い(無意識主体)、3)自分の境界の曖昧さだそうです。

この集中に介入し中断させるのが雑念(顕著性ネットワーク、島皮質中心)です。