悟りは自我から無我への相転移

悟りは自我から無我への相転移。悟りを哲学、心理学、宗教、脳科学から解説します。

8)悟りと漸悟 8-2-0-0)漸悟への過程

8-2-0-0)漸悟への過程

ここからは漸悟、時間をかけてじっくりと修行(瞑想、坐禅など)をして悟りに近づくにつれてのいくつかの相で現れる変化を見て行きます。というのは、頓悟は仏教修行に専念する者でないと困難ではないかと感じるからです。それに対して漸悟ならば、仕事、学業、趣味、スポーツ、読書などでも可能です。

その相については、例えば1)「自我感覚、自我意識」、2)「感情」、3)「認知」、4)「集中力」などに変化が現れて来ます。

なお認識に関しては、自我(心)のみが実在し、他者や(外的)世界はその自我に現れる現象にすぎないという考え方を「独我論」といいます。それに対して、西田幾多郎は、「善の研究」で「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである」という。つまり個々の自我や心(意識)が先にあるのではなく、(純粋)経験が先にあってそれを個々の自我や心が(独自的に)覚知するという。普遍が先にあって、それを個々の自我が独自解釈をするという。

故に独自的に覚知する自我(心)が薄れてついには(純粋)経験のみになって行きます。経験を解釈する、独自(個別)化する自我(心)が薄れて最後に消えてしまえば、そこにはただ一つの純粋経験だけが残ります。その時点が悟りです。