悟りは自我から無我への相転移

悟りは自我から無我への相転移。悟りを哲学、心理学、宗教、脳科学から解説します。

9)成長とそれを促進する理論・方法 9-6)梵我一如の西田の「統一力」

9-6)梵我一如の西田の「統一力」

この章の「9-4-1)「純粋経験」とは」で、西田幾多郎の「善の研究」に出て来る「純粋経験」を取り上げましたが、ここでは同じく西田の「善の研究」に登場する「統一力」を取り上げます。私にとって、西田の「統一力」は、「なるほど、そういうことか」と納得が行った言葉でした。といっても読んだ直後ではなく何年もたってからのことですが。それはあたかもニュートンが「りんごの落下」を見て万有引力を発見した時のように。その時までバラバラだったピース達がその一言で、形を成す絵柄として統合された瞬間だったのです。

様々な異なるピースは、それらを統合する言葉、人、情報などなどが「核」となって統合されます。心理学においてそれをユングはコンプレックスと呼びました。様々な学問分野ではそれを「自己組織化」と呼びます。

注)自己組織化(自発的秩序形成)とは、物質や個体が、系全体を俯瞰する能力を持たないのに関わらず、個々の自律的な振る舞いの結果として、秩序を持つ大きな構造を作り出す現象をいう。

西田は、様々な用語を用いて、神を表現しています。この純粋意識(純粋経験)の統一力、意識の統一力、宇宙の統一力、統一的或者、超個人的統一、宇宙的意識統一、唯一の者の自発自展、唯一実在の唯一活動、有即活動、独立自全なる無限の活動、真の自己、真実在、神人合一、神人同体、精神と自然とを合一した者、宇宙の本体、宇宙の根柢たる一大人格、などともいう。

参禅して悟りを体験したといわれる西田は、人間の意識の根底には根源的統一力(梵我一如の「梵」(根源的統一力)と繋がった「我」(個別統一力))が働くという。善と悪、生と死といった様々な二項対立は、一見矛盾しているようだか、その働きをある「固定的視点(自我、二項対立の一面)から見る」ことで仮想的に見えているに過ぎないと、神の視点(止揚した統合点)から本来は「矛盾的自己同一」だという。