0-2)「直指人心」「見性成仏」
とはいってもこれから述べる内容は、仏教的な「悟り」についてです。宗教の悟りは、勿論科学的知見である程度検証できても最終的には体験的知見からしかうかがい知ることができません。更に体験といっても、その体験した内容すらも体験そのものではなく、体験者が知っている言葉を使って文字で表現されています。大いなる矛盾です。
釈迦自身も開悟後に、「法を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうから、語ったところで徒労に終わるだけだろう」と説法を断念します。ところが梵天が現れ、衆生に説くよう繰り返し強く要請した結果、釈迦は説法を承諾します。
悟りについては、「不立文字」「教外別伝」の後に「直指人心」「見性成仏」です。即ち経典を知って更には「実体験」せよと説きます。しかも「直指人心」「見性成仏」として「心」を直接探求せよと説きます。それも知的に探求するのではなく体験的に行動(修行)を持って探求せよと説きます。であってもやっぱりここでは知的にしか探求し得ません。大いなる矛盾です。であってもやっぱり「心」を探求して行きます。
0-3)悟りとは相転移
悟りを知的に文字的に一言で説明するならば、「自我から無我へと相転移」することです。相転移とは、ある系の相が別の相へ変わることを指します。有名な相転移は、水の相(液体)から氷の相(固体)への相転移です。水の場合は、温度が相転移に関わります。水は、温度が低くなると、液体の相から固体の相へと相転移します。
これからの内容としては、無我とは、また悟り得る根拠としての仏性とは、そして悟りそのものを説明し、最後に、人として成長して悟りに至る道を示したいと思っています。
自我から無我へと相転移する場合には、どんな環境の変化が関わっているのでしょうか。では知的な探求の旅に出ましょう。